当山は、臨済宗妙心寺派の禅宗だったが、現在は単立の禅宗の寺院として布教活動を行っている。開山は一絲文守和尚(いっしぶんしゅ)で、
寛永8年(1631)に建立された草庵「閑夢庵」(かんむあん)が始まり。
一絲和尚は慶長13年(1608)、公爵岩倉家の祖、具堯(ともたか)の第三子として誕生。寛永の初め、澤庵和尚に師事して得法し、「紫衣事件」=
寛永4年(1627)=で澤庵和尚が出羽国に流罪になると、一絲和尚も従って行った。その後、一絲和尚は幕府に近付く澤庵とたもとを分かち、ひとり枯禅を
求め、俗世を離れて洛西、岡本(現在の樫原)の地に庵を結んだ。それが今日の洞雲寺(閑夢庵)である。